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蝶々結び

生きるということ。




誰かと話して笑ったり、

難しい仕事に頭を悩ませてストレスに感じたり、

欲しかったものを手に入れて喜んだり、

足の小指をドアにぶつけて痛がったり、

かわいいものを見てぽわんとしたり。



嗚呼、こういう感情や、こういう痛み、

私の五感は絶対に永遠のものではなくて、

いつかは「千の風」になるのか、

どこへいっちゃうんだろう、この感覚は、

今こうして、頭でこ考えることができるのに、

死んでしまえば、

「私」という感覚は、全くの「無」になってしまうのだろうか。

「無」とはなんだ。

私の感覚が無いってどういうこと?

この気持ちは「気」だけになって、やっぱり千の風の一部になるのか?!



と、こういうことをちょっと久々に考えた昨日。



そして、「人間はなんのために生きているんだろう」

その前に、私はなんのために生きているんだ?

なんて考えたりしたわけだ。

こういう類のことは、中学生くらいの頃からたまぁに考えることがあって、

そんな夜は、脳裏に宇宙のブラックホールまで広がることになってしまい、

安眠ほど遠く、「恐ろしさ」に涙がポロリ☆なんてこともあった。



涙は流さなくても、考えることがあるのは今も同じ。

いくつになっても変わらない。



「生きる意味」

意味なんてないさ、考えてどうなる、なんてのは今は横に置いといて、と。



喜びを感じるため?

その時々のつらい課題たちも、幸せな時間の「しあわせ感」を増幅させるスパイスか。



喜びを感じるには、人を愛し、愛されることが欠かせない。

いろいろな人に出会って、

話して笑って、時にぶつかったりもして、

絶えず、人とかかわって日々を過ごし、絆を築いていく。



肩はガチガチに凝る日々だけれども、

こうして毎日を元気に生きられて、

ちょっとしたことにもいろんな色をした喜びを感じられるようになっていってると感じるのは

歳を重ねたおかげでしょう。



「あしたはあそこにあれを見に行こう」

「10年後はこんな女性になっていよう」

とか考えて、根拠もない自信といっしょに前へ前へ。



こういうこと考え出すと、

一度きりの人生なんだからいいじゃない好きにやっちゃえば!的極論が垣間見えるけれども、

そうじゃあないんだよな。

いろいろな意味で。

と思う現実的な人間なのでした。





by chouchomusubi | 2009-12-06 01:44 | 日々つれづれ